■ 東北地方太平洋沖地震 家右衛門は勤務地で被災 パルコンは!?
2011年3月11日
もう7月になってしまいましたが、地震の影響で忙しく、いまになってようやく記事を書く時間がとれました。体調を崩して入院したり、計画停電のおかげで職場も体勢が変わったりで、ずっとドタバタしていました。地震当時のことを少し書いておきます。
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建物の強度が明暗を
大地震発生。私は勤務先にいて午後3時半ごろにティータイムで珈琲を飲み始めた頃でした。過去に経験したことのない猛烈な揺れ。思わず立ち上がって机にしがみつくしか術もなく。周囲で書類などが音をたてて崩れています。
治まってからテレビをつけると地震速報で阪神淡路大震災よりも被害が拡大しそうな気配... 。
職場の建物は比較的新しい鉄骨構造のビルなので、被害は無かったのですが、各フロアの防火扉が自動的に閉まっています。窓から外を見ると、遠くで火災が発生しており、それは夜通し燃え続けていました。次の写真は火災発生から2時間ほど経過した時点のものです。
電車もすぐに止まり、どうやら私は帰宅難民になったらしい.... 。すると今度は職場から指示があり、この地域の帰宅難民をウチの建物で受け入れることになったので泊まってお世話せよ、との命令。いやはや...... 食堂はすぐに炊き出し体勢に。この写真はおにぎりと飲み物を被災者に提供しているところです。結果的には約800名ほど受け入れたようです。
当然ながら寝る場所も確保せねばならず、役所から毛布の配給があり、みんなそれにくるまって床に寝ます。家右衛門もこのすぐ脇で寝ることに.... 自宅のことがちょっと心配。なにしろひどい揺れで、各地の被害が報道され、自宅周辺の被害もニュースになっています。
一夜明けました。早く家に帰って被害状況を確認したいなぁ..... でもまだ電車は満足に運行していません。いかにパルコンといえども家電製品や家具が倒れて散らかっているに違いありません。帰宅難民の皆さんの毛布を片付けながらも、Palconのことが気になる家右衛門.....
それで、結局自宅へ戻ってどうなったのか?
な〜〜んにも変化なし。
我が家のPalconジェニックはいつものように私を迎えてくれました。
大きな家具はつっぱり棒が効果を発揮。食器棚は前もってガラス戸に防犯フィルムを貼ってあったせいか食器が扉に押し寄せていながらもまったく無事。作業部屋も机や大型の棚も転倒防止金具を仕込んであったので倒れていません。あえていえば本棚の上にあったB&Wのスピーカーの片方がひっくりかえり、パソコンを直撃していたぐらいです。パソコンもスピーカーも結局は元通り動いています。
キッチンでは家内が「吊り戸棚が開かん... 」とボヤいていましたが、すぐにネットで調べて解決。最近のキッチンは地震対策で扉がロックされるのだそうです。家右衛門もはじめて知りました。
そんなわけで地震直後からいつもの生活。幸運でした。
パルコン仲間もみなさん無事だったようです。
その後、しばらくして
宮城の被災地に行ってきたパルコンユーザさんから写真とメールを頂きました。津波で壊滅的な被害を受けて現地に残ったPalconを取材したものでしたが、建物の箱はちゃんと残っており、リフォームすれば住めそうな状態に見えました。周囲が瓦礫の平野に見えるなかでポツンと建っている一般民家は珍しいらしく、テレビのニュースにも写っていたようです。
ただですら不景気の続いたなかに今回の震災。原発問題も含め、我が国にとって経済的にも文化的にも深刻な状態になっています。加えて異常気象ともいえる天候。事態を重く見た家右衛門は3月から、独自に被災地への義援金を集め、現地へ送る試みを始めました。
記事:2011年7月29日
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